虫歯ずっと気になりつついけていなかったのでえらい。歯をちゃんとしているの、社会の側に立った大人というかんじがある。これは村上春樹のプールサイドという小説の影響かもしれない。先生が地元のおじいちゃんという感じでガンガンサッサか進めてくれるの楽であった。いい歯医者という感じではないが気に入った。
それ以外はだるくて作業も後処理とペイントくらいしか進められなかった。
髪を切った。だいぶさっぱりした。漫画で長い髪のキャラをみるといいなーって思うけど写真や会って惹かれるのはショートのことが多い。今回もそう。ちゃんと化粧しないと坊ちゃん感出るので化粧していこ。近所の美容室行ってみたがマッサージ多めでよかった。不愉快さもないのでしばらくここかな。
午後は引き続き記事用のを作っていた。作っていたといっても主に3dプリンタが頑張っていて私はわりとぼちぼちな感じで作業をしていたが。
集中はしていないがだるい感じもあまりなくただ淡々と作業する感じで悪くなかった。PRUSAを直す気力が出なくてけっきょくsnapmakerで全部出力したので時間がかかった。予定より1日遅れで完成しそう。欲を言えば直したいところは沢山あるが、それより素早くあげることの方が大事。
クッションカバー作った。中身そのままにぐんにゃりして格好は良くないが使い心地はいい。公式カバーより柔らかくてベッド用にいい。あとはズボンも繕ったしブラジャーの試作2号も作って遊んだ。
・VR運動昨日ので筋肉痛になっててやる気なかったんだけどちょこっと。卓球と太極拳。太極拳前より少しわかってきた感じがする。
記事用にモデリング。
形をとるのが難しかったので粘土でモデルを作る。粘土楽しい。
そのおかげか前回より良い形がつくれた。細かい造形はできていないが、全体のニュアンスは出せた。今回はこれで十分。サーフェスモデリング、だいぶ思い通りの形を作れるようにはなってきたが手数がかかる。もっと簡単にできるはず。
PRUSAがまたつまり、snapmakerで出力。サポートが出せない問題は前のバージョンのソフトを使うことで回避したが、新しいソフトでできないなんてことある?調べた方が良い。まぁどちらにせよ、大きい部品は結局snapmakerでは出せないので修理する必要がある。分解して組み立て直したばかりなので気が重い。
オートロードが効かないので磁石のセンサーあたりの問題がありそう。しかしフィラメントが出ないのは他の問題の可能性も高いので悩ましい。
・6時に起きて昼まで作業して昼寝。1日が3分割して使える感じでおもしろい。
・VR運動、beatfitの譜面で足に来た。ボクシングのやつで初めてダウンさせられた。判定勝ちしたけど。気がつくと一時間くらい経っていて驚く。
「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に行った。
そのデザインの過程において生み出してきたスケッチ、図面、模型の数々です。それらは、多くの人々の目に触れる完成品に比べて、あまり光が当てられません。しかし、そんな「秘められた部分」にこそ、デザインの大切なエッセンスが刻まれています。
密を防ぐために予約制になっていて、快適に見ることができた。平時でも予約制は良い。
展示は、日常からの思考メモが書かれたスケジュール帳、駅の屋根を考えるためのメモとリサーチ模型の数々が良かった。その人がどうデザインを育むのか、高めるのか。
全体的にはたくさん事例が並びすぎていてそのデザイナーの思考と試行をうまく読み取れないコーナーも多かった。21-21の展示はものすごくわかりやすく工夫された展示だった印象があり、それと比べると、という話で、悪いわけではない普通の展示の仕方。概要を読んだ感じ、一般にむけてというよりこれからのデザインを担うデザイナーやデザイナーの卵がメインターゲットだったのかも。
しかしまぁ解像度の低い私でもやはりたくさんの1流の人のワークを見てすごいな〜と思う、もちろん。なにより人によって全然違うのがおもしろかった。言葉をたくさん使う人、落書きみたいに絵で描く人、ものをたくさん作る人、デッサンが美術品みたいにきれいな人、CGで試行して現実を寄せていく人、遊んでるみたいな人、システマチックに仕事をしているみたいな人、哲学してるみたいな人、祈ってるみたいな人。ただみんな手を動かして考えているのは共通そうだった。
これを見てそのままでかけたりして夕飯の素麺を茹でているときにふと、最近もやもやもやと考えていた「片田舎の発明おじさん」問題にすごく簡単な結論が出た気がした。片田舎の発明おじさんというのはなんかの対談で読んだフレーズで。このフレーズを聞いて自分の中の「そういうふうになりたくない」とうっすら思っていたのを自覚してしまった(これはそのフレーズで想起するイメージがということで実際の地方で発明してる人を貶めるつもりはない)。でも、自分は在野はかっこよく可能性もあるものという立場をとりたいと考えていたので混乱した。「クライアントワークの方がいいと思っているのか?」「人から認められたり賞をとったりするのがいいと思ってるのか?」「インタビューされるような何者がいいのか?」と。もやもや考えていた。
が、今日なんとなくしっくりきた。まぁ実際そういう人に認められたい感情はあるけど、コアは「いいものを作りたい」ってことで、それは過去の事例とかいろいろな可能性とかを煮詰めていったものでありたいってことだ。すごく簡単な結論になったけど、これにてひとついっけん落着。
もともと運動部で運動に親しみがあるのだが、ここ数年運動をせず、腰痛までやってしまっているが故に余計動けず、「体が動いてくれない、重い」みたいな意識がある。動く体に憧れは強いほうだし、精神にもいいし、運動したい気持ちはある。が、ジムに行くのは続かなさそうだしイヤだし、走るのは膝が痛いしつづかなさそうだし、バトミントンとかのサークルにはいったりしたいけど活動してるとこ良くわからんし、で、VRならいいか、となり、久しぶりに昨日VRで30分ほど遊んだ。ら、朝起きたときから腕やら背中やら至るところが筋肉痛だ。これは効くなという気持ちになったのでしばらくVRで鍛えたい。
ジムは筋肉って感じだが、ほしいのは「自在に動く体」なので、VRのほうがほしいものに近い感覚で鍛えられそう。
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全然縫わないで、切ったり貼ったりしてブラジャーゼロ号を作った。できるだけ1つのパーツとして切り出して、布用の接着剤でくっつけて、止めるところは安全ピンでってしたら、あっという間にブラジャーの形ができた。
ものすごくいい加減に、図画工作のように作ったが、自分の体をベースにしているせいか、それでも意外に着るとしっくりくる。もう一回くらいアップデートしたら使えるものになりそう。
しっかりした型紙を使ってしっかり縫って作るのはもちろんいい方法だが、時間がかかる。その点切って貼ってで作ると短い時間でできる。そして
続きを読むぼんやりと「向こう側にいきたい」と思っていた1日だった。
図書館に行った。コロナにより入るときに受付票を書く形式に変わっていた。
服の型紙のパターンについての本と下着の縫製が借りたかったのだが、そのものズバリな本はなかった。
しかし、代わりに読んだ本がおもしろかった。裁縫雛形という、明治ごろの、裁縫学校の見本と練習用の服の1/3模型のようなものについての本。
最小の時間でより多くの技を身に着けさせようという、教育の工夫が興味深かった。
昨日イベントをやって疲れていたのか起きれなくて仕事に遅刻してしまった。良くない。
サクッと仕事して、なんかしたい気持ちはありつつもだるくて動きにくい感じだったのでわりとだらだら過ごした。
farmtoryでハッカソンっぽいことをやった。もう3時間あったらもっといい感じに作れたなとの思いはあるものの、限られた時間で形になったし、なにより楽しかった。
人ともの作るの好きなんだなって思った。みんなも楽しんでくれている様子だったし安心した。
ハッカソン苦手意識があったが、出てみたいなという気持ちにもなった。
最近farmtoryの活動に自信がなくなっていたが、家でハッカソンできるのおもしろいだろということでちょい回復した。ラボ部屋の環境や植物、アウトプットの活動など手作りとしてはけっこうよくやってるんじゃないかと。できてないことも多いしゆっくりとした歩みではあるものの、続いていることがすごいんだ、と思えた。
もっとあっち側に行きたいしなかなかうまくはいかないけど、それもおもしろがってやっていこう。
farmtory-jornalが売れていたらしく、在庫がなくなったので印刷した。というかそもそも数冊しかすっていないのだ。
内部の体裁が本っぽくなくブログっぽくて本として読みにくいのが気になっていたので体裁を直したのだが、Pagesでこっちを直すとさっき直したあっちがまた崩れる、みたいな感じでかなりグダグダした。
印刷。表紙はシルクスクリーンを使って手で印刷していたが、時間がなかったので今回はプリンターで印刷した。もっこり印刷にしたくてエンボスパウダーを買ってみたが、プリンターで印刷したものには使えないよう。代わりに木工用ボンドを使って実験してみたが、意外にいい感じだった。しかし紙がもやもやになりやすいため、やらないことにした。やはり次はシルクスクリーンなりスタンプなりでエンボスパウダーを使うのをやりたい。版を作らなくては。
こ口に色を付けてあるのが好きなのでスタンプ台でやってみたがインクののりが悪くて均一にならず、改良の余地を感じた。
印刷所に頼んでいたときは同人誌という感じだったが、自分で作り始めるとZINEって感じがしてきていろいろ凝りたくなってくる。もともと本や印刷は好きなのだ。前の版より中身も冊子も少しきれいになった。また出して少しずつこなれさせていきたい。本作るのたのしい。
屋上で肉が焼かれていたが参加できなかったので明日の朝はステーキ。
よく言えばいろんなことをちょっとずつやった。
知人がマスターをやっていたバーが閉店するとのことで、顔を出しに行く。ごくたまにしか行かないのだが、しかし「行ってもいい場所」であったバーがなくなってしまうのはさみしい。行っていた時の自分が遠くになったことを実感してしまって、それもさみしい。それに、その知人や、そこで時々会う名前も知らないけれどもなんとなく好感をもっている人に会う機会が全くなくなりそうでかなしい。
昔から好きな人間のことはなぜか「会わなくても大丈夫」と勝手に思いがちで、でもずっと会わなければどうにも変わらないわけがなく、ウン年後にあった時には好きな人間ではなく好きだった人間になったり、いなくなったりしてしまう。その時になら重なって仲良くなれたりしたかもしれないが、しかしその時を逃してしまえばどんなに可能性があったとしてもそれはただの可能性で、ほって置かれたほうずきの実みたいに萎んでしわしわなになって気がついたときには小さなカチカチの黒い塊でしかなくなる。だから好きな人間はどんどん誘ったほうがいい。