出産・育児と「自由がなくなること」
出産、子育てについてメリットはないが幸福があるという旨の記事を読んだ。記事と直接の関係はないが、読んだ後自由について、ゴミ出ししながらぼんやり考えた。出産、子育てのデメリットとして「自由のなさ」はよくあげられるけど、体感としてたいした問題ではないと感じている(今のところ)。なんでかなーと書き出したのを吐き出しておく。
出産・子育てのデメリットとして良く上げられる「自由のなさ」について思ったこと
メリット、デメリットはなんに対してのものなのかをはっきりさせておいた方がいい
- 子ども育てるか問題の文脈では人生の幸福さに対するものなのでは
実際に行動に制限は出てくる
- 子供の世話、出産に伴う自分の身体を整えるため
- すべて問答無用で制限されるというのではなく、ある程度選べたり、工夫すればできることもけっこうある
- 「工夫しなければできない」のが苦痛だとつらいかも
- なんの考慮もなくふつうにできる、ということに感動することもある
- 選べないことももちろんある
- 「工夫しなければできない」のが苦痛だとつらいかも
出産・育児をしないでも行動は制限されている
- 特に労働は子育て並みに行動を制限される
- 金銭面だったり、住んでいる環境だったり、人間関係だったり、なんだかんだ子育てをしていなくても全て自由にできるわけではない。社会生活を営み、人間である時点で全て思い通りにはならない
- 非常に自由な期間、例えば大学時代や無職時代などに自由を満喫して100%楽しめたかといえばそんなことはなかった
- 「おもいのままにふるまう」の「自分が思えること」というのにも範囲がある
限られた範囲の中でどうやりくりするかというのは変わらない
- 実際の選択肢の多さより、「自由であるという感覚」、つまり「自分で決定している」「やりたいことができている」という感覚のほうが重要
- 「制限されているという感覚のなさ」が「自由な感じ」
- 実際の選択肢の多さより、「自由であるという感覚」、つまり「自分で決定している」「やりたいことができている」という感覚のほうが重要
選択肢の範囲が変わっただけと感じる
- 子育てにより新たに現れた選択肢もある
- やってみないと新しく現れる選択肢は見えにくいので、失われる選択肢だけが見えてしまい、「自由がなくなりそう」と感じるのかも
- 可能な範囲の中での選択肢の解像度を上げると選択肢は増え、選択の感覚は変わらない…かも?これは言い過ぎかな
- 子育てにより新たに現れた選択肢もある
問題は自由のなさではなく自分が選びうる選択肢に苦痛を感じるか
- 自ら選んだ制限はそんなに苦痛じゃない
- 映画館で映画を見てるときは声を出したり寝転んだり踊ったりできないけど苦痛じゃないしそもそも制限されているとあまり感じない
- なにかをやるというのはなにかをできないということ
- 自ら選んだ制限はそんなに苦痛じゃない
とりうる選択肢の中から楽しいことを見つけてやる、で楽しいし、とりうる選択肢を試行錯誤で増やしていくのも楽しい
- 制限があったからこそ取り払われた時の喜びが大きくてお得みたいなこともある
- 一か月ぶりに銭湯に入ると感動があった
- 制限があったからこそ取り払われた時の喜びが大きくてお得みたいなこともある
まぁまだ1か月半でわりとゆるくやれているからというだけでこれから大変になってきたり長期にわたってきたら子育てつらいー自由ほしーってなるのかもしれないが、現時点での感想としてはこう