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ヤクの毛刈り祭り --yak shaving festival--

㊙展 に行って、片田舎の発明おじさん問題の方がついた

「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に行った。

 

そのデザインの過程において生み出してきたスケッチ、図面、模型の数々です。それらは、多くの人々の目に触れる完成品に比べて、あまり光が当てられません。しかし、そんな「秘められた部分」にこそ、デザインの大切なエッセンスが刻まれています。

密を防ぐために予約制になっていて、快適に見ることができた。平時でも予約制は良い。

 

展示は、日常からの思考メモが書かれたスケジュール帳、駅の屋根を考えるためのメモとリサーチ模型の数々が良かった。その人がどうデザインを育むのか、高めるのか。

全体的にはたくさん事例が並びすぎていてそのデザイナーの思考と試行をうまく読み取れないコーナーも多かった。21-21の展示はものすごくわかりやすく工夫された展示だった印象があり、それと比べると、という話で、悪いわけではない普通の展示の仕方。概要を読んだ感じ、一般にむけてというよりこれからのデザインを担うデザイナーやデザイナーの卵がメインターゲットだったのかも。

しかしまぁ解像度の低い私でもやはりたくさんの1流の人のワークを見てすごいな〜と思う、もちろん。なにより人によって全然違うのがおもしろかった。言葉をたくさん使う人、落書きみたいに絵で描く人、ものをたくさん作る人、デッサンが美術品みたいにきれいな人、CGで試行して現実を寄せていく人、遊んでるみたいな人、システマチックに仕事をしているみたいな人、哲学してるみたいな人、祈ってるみたいな人。ただみんな手を動かして考えているのは共通そうだった。


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これを見てそのままでかけたりして夕飯の素麺を茹でているときにふと、最近もやもやもやと考えていた「片田舎の発明おじさん」問題にすごく簡単な結論が出た気がした。片田舎の発明おじさんというのはなんかの対談で読んだフレーズで。このフレーズを聞いて自分の中の「そういうふうになりたくない」とうっすら思っていたのを自覚してしまった(これはそのフレーズで想起するイメージがということで実際の地方で発明してる人を貶めるつもりはない)。でも、自分は在野はかっこよく可能性もあるものという立場をとりたいと考えていたので混乱した。「クライアントワークの方がいいと思っているのか?」「人から認められたり賞をとったりするのがいいと思ってるのか?」「インタビューされるような何者がいいのか?」と。もやもや考えていた。

が、今日なんとなくしっくりきた。まぁ実際そういう人に認められたい感情はあるけど、コアは「いいものを作りたい」ってことで、それは過去の事例とかいろいろな可能性とかを煮詰めていったものでありたいってことだ。すごく簡単な結論になったけど、これにてひとついっけん落着。