ヤクの毛刈り祭り
ブログ名、というかサブタイトル部分を変更した。いやまぁ世界のほぼすべての人にとってはどうでもいいことだし、このブログを読んでいくれている貴重な人間だって、言われなければたぶん気が付かないくらいのことだ。まぁでもちょっと思うところがあって、前の『セリグマンの犬の脱出』から『ヤクの毛刈り祭り』に。ネコ目イヌ科犬属から鯨偶蹄目ウシ科ウシ属へ(犬ってネコ目なんだって、知ってた?)。
で、ヤクってなんだっけ?という人もいると思うので一応書いておくと、角がでかくて毛が長い牛です。で、このヤクの毛刈り祭りというのがネパールで行われていたそうだ。以下抜粋(太字は筆者)。
彼らにとってヤクは欠かせない家畜だ。乳はギーやヤクバターとして食用や灯火に使われ、険しい山中の荷運びの力になり、そしてその毛は絨毯や衣類、クッションの詰め物の原料として取引され、貴重な現金収入となる。ヤクとともに彼らの生活はあった。
その名残を留めるのがヤクの毛刈り祭り(Yak shaving festival)だ。10月の満月の前後に行われる祭りは、現在では屋台で振舞われる食べ物とバンド演奏やダンスが行われる小さな舞台がメインで、初めていった人間にはヤクに関連するお祭りだとは気が付かないかもしれない。しかしよくよく見れば、振舞われる料理の中にはヤクの乳で作ったお菓子が添えられ、舞台で一番盛り上がるのはバリカンでヤクの毛を刈る速さを競う毛刈り競争の表彰式だ。もともとは生活を支えてくれるヤクに感謝を捧げる収穫祭なのである。
今でこそ誰でも参加できる楽しく明るい祭りだが、70年ほど前までは過酷な宗教的行事だった。青年期を迎えた少年らは一睡もせずに4日4晩ヤクの毛を刈り続ける。ヤクの毛刈りは慣れた大人が複数人で行っても骨が折れる作業だ。それを筋力もまだ十分にない少年が、意識が朦朧となりながら行う。そして最後の夜には、4日間で刈った山のような毛を全て燃やし神へ捧げるという。現在ではその過酷さと、ヤクの毛の有効利用のためにこの行事はなくなり、代わりに毛刈り競争が行われている(刈られた毛は慈善団体を通して販売され、その対価は村の学校施設の運用などに充てられている)。
村で唯一当時の毛刈り祭りに参加したというウッタムさん(推定84歳)に話を聞いた…中略…最後にウッタムさんに、ヤクの毛刈り祭りとは何ですか、という質問をすると彼はこう答えた。「(祭りの)毛刈りは、祈りなのです。我々はただ毛を刈ります。その時だけは、ヤクを涼しくするためでもなく、毛を売るためでもなく、ただ毛を刈るのです。」
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まぁこの話は全部嘘っぱちなんですけど。2013年、会社員でちょっと鬱屈していたころに前のタイトルにした。学習性無力感からの脱出。
今はうまくいってるとはいえないまでも、少なくとも檻の扉から上半身を出してふんふん周りを嗅ぎ回るくらいはできているし、たぶん時々は自分で散歩にでている。
再学習し犬は脱出した。ヤクに変身だ。
わりと最近、ヤックシェービングという概念を知った。ヤクの毛刈り。なにかの問題を解決しようとしたら他の問題が出てきてそれを解決するためには他の問題を解決しないといけないみたいな状態を指す。もともとはソフトウェア界隈の言葉らしい。
本質的な問題に辿り着かないというマイナスのニュアンスで語られることが多いようだが、なんだか気に入ってしまった。問題を解決するための問題を解決するための問題を解決するための問題を解き続け、それ自体をおもしろがっていたい。
ただ毛を刈り続けよう。