3Dプリンターとヒトの幹細胞で『手』を作った人の話を聞いてきた
はじめに言っておきますが、内容についての情報は「無」です。単なるメモに近い。
こういったトークイベントがあったので行って来た。 YouFabコンテストで最優秀を取った作品「Regenerative Reliquary(再生可能な聖遺物)」。 ヒトの幹細胞を3Dプリントし、人の手の骨を作った作品だ。
Amy Karle Bringing Bones to Life
この作品の作者の人が来るということで渋谷まで。
バイオ系に興味はずっと前からありつつ最近遠ざかっていたのだが、「ちょっと外に出て行こう」という気持ちもあり、勢いでほとんど中身を見ずに申し込んだ。
残念なことに、行くときに反対報告の電車に乗ってしまい遅刻をしてしまった。 ので基本的な前置き部分を聞けなかった。 そしてなにより、発表&質問がオール英語。 なので、「なんとなくこんなこと言っているのかな?」以上のことがわからなかった。英語やらねばなぁ。 ただわからないなりにも面白かったです。
私が考えていること、感じたこと
人に伝える気持ち10%くらいで書く。
服や家は人間の肉体の拡張だと考えているが、甚だ不恰好で不完全に感じる。 もっと進化させるには、人間の体自体を改造するという方法がある。今回のトークではそう言った肉体改造やインプラントの話もされていたように思う。しかし私はもうすこし現状の服や家に近い形、イメージとしてはヒトの完全な共生生物を作るという方向に惹かれる。例えばヤドカリがイソギンチャクを背負うことで身を守るように、サンゴが褐虫藻によって生きているように。そして今回のトークイベント聞いて、そのような人間との共生生物は自然界にいるような生物ではなく、"生きている"「服」や「家具」として登場するのでは無いかと思うようになった。、培養液に浸して保管されており、身につけて、エネルギーがなくなるまでは生きて、我々を温め衝撃から守ってくれる、細胞によって作られた服。我々が着て動くことでエネルギーを蓄え淡く光る服。光合成や人には捉えられない微小な菌や生物を取り込むことによって、着ているだけで食べ物を作り出し、与えてくれる服。生物的な服は多くが不可逆で、(仮死という手はあるかもしれないが)、なにかしらのエネルギーが切れれば”死んで”しまう。もちろんそれを生きているというかはわからない。エネルギーを得てある機能を果たし、エネルギーがなくなったり素材の(細胞の)適合しない環境では機能を停止し壊れてしまうもの。たとえそれがタンパク質でできていようが、それは電気的なエネルギーで動いている機械と本質的に変わらず、生きているとはいえないのではないか、という論はもちろんあるだろう。しかし我々だって似たようなものではないかと思うのだが、まぁいい、生きているとは何かという問題を考えるのは面白いが、それ以上に世界を夢想する方が面白いので、ここはかっこ付き、"生きている"を使うことで解決しよう。そういった"生きている"服や生きている"家具"、生きている"家"はヒトにあうようにつくられ人々にあうようにカスタマイズされ消費されるのかペットのようになるのか。そうなったら服や家具との関係性は変わりそうだ。服や家具も成長し、一生を共にするのは結婚したパートナーではなく毎日身につける服になるかもしれない。従来の服や家具となにが違うのか、何がいいのかと考えるとよくわからないのだけど、なんだか心地よさそうな気がする。どうも死骸に囲まれているよりは生きているものに囲まれている方が楽しいのではないかという気持ちがある。
こう言ったことを想像するのは楽しいし、実際に作るのは難しくてもアートというコンセプチュアルな形でなら、形にできるかもしれないな、と思えたのはこのトークイベントに行って良かった点だろう。