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ヤクの毛刈り祭り --yak shaving festival--

散歩に行く。非常にはっきりとわからない展、プラネタリウム、港公園、死にたさについての回答

突然にぽろっと、「前に、こどもの時からしにたさはあったって言ってたけどなんでですか」と聞かれた。そんな話はあまり人にしないし(その人は親しいので口を滑らした)びっくりしてしまって、テレビのコメンテーターがいいそうな薄っぺらい答えを適当に返した。あまりにも自分にとって当然のもので、原因という考え方をしたことがなかった。

 

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大学に入るまで、自分の存在を消したいと思ったことがない人間がいるなんて知らなくて、人間というものはあまねくそういうものだと思っていた。大学の先輩の「死にたいとか考えたことないな」(九鬼周造を丁寧にやっていた人だった)という発言はその頃の自分にとっては衝撃で、ゼミ室の光景とともに今でもたまに思い出す(そういえば別の先輩は卒業と同時に探偵をやり始めていたが今はどうしてるんだろう)。

 

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今の夫は「200歳まで生きたい」と言って私を驚かせた。つらそうなことはまぁあるけれども、死にたいわけでは別にないらしく、そういう異星人みたいなところが好きだ。

 

 

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私は今、友人といってもいい人間もいる、夫もいる、仕事は安定してないが自由にやらせてもらっており楽しいし、個人的に潤沢な金はないが困っているというほどではない、未来への不安や細かな悩みごとはもちろんあるが、総じて言えば幸福だと思う。でもふと起きた朝に、路線脇の道路を歩く時に、飲み会の帰り道や一人で寝る前に、あぁここに自分を爆破するボタンがあってそれを押せたらどんなにいいのかと思う。

 

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まぁ思うだけだ。実際のところしばらく死ぬつもりはない。単に実行に移すだけの気概がないというのももちろんあるが、でも主には、子供の頃の自分のために。

 

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もう理由も覚えていない、いつだったかも怪しい、でもおとなになる前の自分は「生きる」と決めて、それから自分の生きる理由は「過去の自分がそう決めたから」だ。こどもの自分を納得させられるほどには大人になっていない、でも常に寄り添う希死念慮とそれなりに付き合えるくらいには大人になった自分は、練習はしても実行することはないだろう。

 

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原因かもしれないものは上げることはできる。遺伝的な要素かもしれないし、当時の家庭環境かもしれないし、自分の性別が嫌いだったこと、学校で馴染むのに苦労したとか、まぁそれっぽいことはあげられるけど、今振り返ればどれも人に比べて大したことではなく、原因を探ることに意味はないとも思う。原因を決めてしまうとなんだか歪めてしまう気がする、単にそうやつだった、というんでいいんじゃないか。

 

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昔は死にたいという感情がない人間になりたいと思ったこともあったが、それなりにバランスを取ることを覚えた今はいつも死にたい一族のじぶんもまぁ気に入っている。

 

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そんなことを考えながら今日は千葉市あたりをフラフラした。一人で歩いていると時々とても気持ちよくなることがあって、そういう時は何でも良くなる。

 

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疲れて港公園で業務スーパーの天ぷら食べてあーうまくないけど、うまいな、と思った。

 

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