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ヤクの毛刈り祭り --yak shaving festival--

シロナガスクジラスイム記@スリランカ4日目

前言撤回。シロナガスクジラはやっぱり大きかった。

スリランカ4日目、スイム二日目。海に出るがクジラの気配もない。二つのポイントに行くがどちらもさっぱりだ。シロナガスクジラはおろかニタリもイルカも魚さえ見えない。2時間ほど経過。案内役のMさんが船会社の人に連絡をとって聞いた感じでは、昨日も9時ごろになるまで姿が見えなかったらしい。というわけで希望を託して9時まで待つ。すると9時3分。クジラは時間に正確らしい。背中が見える。ニタリクジラだろうか。水中に入ってみるが、水中では見ることができなかった。

電話で昨日見たポイントにシロナガスが来たと聞く。急いで行くものの、ボートが多い。私たちの他に4隻もいる。5隻で一頭のクジラを追い回す形となり、クジラは逃げるし、他のボートが邪魔だわで水中に入れるチャンスがほとんど無い。諦めて他の場所に行くものの、全く姿形もない。結局確実なさっきのシロナガスクジラがいる場所に戻ることになった。

戻ってみるとボートが2隻減っており、2隻になっていた。相変わらず一頭を追いかけ回すが、少し様子が違う。前のようにすぐ深くに潜っていかず、しばらく水面を泳ぐようになっていた。クジラのストレスは大きくなるものの、このクジラにアタックすることにした。既に逃げモードになっていること、他のボートがいることから、船を近くに寄せて水中に入ることになった。

水に入る。いる。昨日よりも近くで見たシロナガスクジラは、巨大だった。体についているコバンザメがはっきりと見える。尾びれに触れそうで引いてしまうくらい近い。距離は3mくらいだろうか。水中なのでもっと近く見える。ああ、きれいだなあと思った。前方からちかづき脇を抜けながら過ぎ去っていく姿は、シロナガスクジラそのものだった。

アタックし、クジラが潜り、10分たち、上がってきたクジラを探し、またアタックする。その繰り返し。余裕が出たせいかよりその存在を味わうことができる。うまく言葉にはできないが、同じ世界に生きているものではないような、全然違う存在が自分のすぐそばにいることに興奮した。

ちょっと興奮しすぎたのか船のヘリで手を切ってしまい、なんだか申し訳ない気分になった。結構ぱっくりいったのだが、普段ぶすっとしている船長が真水で洗ってくれたり、バンドエイドを貼ってくれたりして優しかった。

今日はとても良かった。シロナガスクジラは見る距離で全然違うものだった。カメラのハウジングの調子が悪く曇ってしまったのは残念だったが、しかしシロナガスクジラの姿を収めることができた。Thetaが途中で使えなくなってしまったので、明日はthetaをもっと使ってみたい。

帰ってからはなんだか一人になりたいような気分で、部屋でインターネットをしたりしていた。部屋にはwifiが届かないのでプールやラウンジがあるところに行くのだが、なんだかんだ人がいなくて落ち着かない。結局携帯を使ってしまった。しかしインターネットがあるおかげで試行錯誤しながらもthetaのデータの抜き出しをすることができた。

夜ご飯は船会社のラリーさんを含めてみんなでご飯だった。途中から船長のシャンも加わった。きちんとした服を着ていて、船にいる時とはぜんぜん違う印象。シャンはあまり英語を話さないらしく、船長が通訳に入る。シャンは36歳、3人の子供がいておくさんは中東で働いているらしい。怪我について、何が原因かを知りたがっていたのが印象的だった。真面目なかんじだ。それと印象に残った話は、スリランカ津波の後、内戦もなくなり、支援金も得、それ以前はほとんど何もなかったトリンコマリーが街として発展、人も増え、西洋化し、西洋人も増え、なんだか騒がしくなったという話だった。それを良いとも悪いとも行ってはいなかった(と思うが)、津波がきっかけとなりむしろ発達したという話は興味深いものがあった。

あとカニの焼いたのが酸っぱスパイシーな味付けで大変美味しかった。タミル語ではナンドユリーがありがとう、というのを覚えた。(ちなみにスリランカではシンハラ語タミル語が使われている。英語もタミル語シンハラ語も話すラリーさんはトリリンガルだ)。もうだいぶビールも回ってきたし、昼寝をしていなくて眠たいので寝る。22時。明日は8時出発だから、9時間はねれるかな。しめしめ。