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セリグマンの犬の脱出―escape of Seligman's DOG―

「見世」と賃貸住宅とインターネット

「店」っていうのはもともと「見世」が語源らしい。

鎌倉時代から町屋(賃貸住居)では、住居のうち通りに面した部分を商いに使っていた。

商品を置いたり、サービスを行ったり、自分の仕事を「見せる」場であり、

同時に生活スペースだった。

 

『地域社会権主義』でも「見世」を取り入れた住居スタイルが提案されている。

ーー引用ーー

・・・ここではその住宅を「イエ」と呼ぶ。「イエ」は「見世」と「寝間」によってできている。・・・「見世」は外に向かってガラス張りである。・・

・・・住人は自分の「イエ」に必ず「見世」をもっているので、その「見世」を利用して物販や飲食に限らずさまざまなサービスを提供することができる。・・・お小遣いを稼いだり、生き甲斐を見つけたり生計を立てたりするようなさまざまな働き方ができる。また、住人はあるときは供給者側に、あるときは受けて側にまわる。・・・

ーーーーー

つまり、生活スペースと半一体化したオープンスペースを持つことで、

自分の技術や資産を生かして小さい商売をすることが可能になる、

という仕組みだ。半生活スペースなので、場所を新しく設けることによる大きな負担もない。

 

だけど、今の住宅はどうだろうか?

私が住んでるのは賃貸アパートだが、共有スペースは駐輪場くらいで、

あとは無機質なドアによって外の社会からは隔絶されている。(守られているといってもいい)

まぁ今のアパートに文句を言う気はない。

私が考えたいのは今の生活にどうやって「見世」をとりいれるかだ。

一つは思いつくのは唯一外との出入り口であるドアを「見世」化する方法。

ただし、私の部屋は2階なので、アパートの住人以外が見る機会はほとんどないといっていいだろう。

もうひとつはベランダを利用する方法。

通りがかりの人が実際によることができないので、「見世」として機能するかは怪しいが、道行く人にアピールする方法としては面白いかもしれない。

 

とりあえず私は、家の一部をオープンスペース化し、人を集め、それによって家の内部のスペース(本来なら閉じられている部分)を「見世」として利用する、という実験を行っている。(現在は人が入ってくる場にしているところで「見世」としては機能していない(スペース貸しという風に考えればしていないこともないが・・・))

 

それともう一つ、ネット上の「見世」を作りたい。自分のブログ・facebook・ブログ・HPなどは開かれていながら半私的スペースである。自分の商品を並べることも資産を利用することもできる。決済も簡単にできるようになってきた。わざわざ表品を売るためのページを作らないでも、自分の借りているホームベースで簡単に商いをすることができる。「見世」的だなぁ、と思う。

そしてそれは「店」の始まりなのだ。

 

参考:『日本人のすまい 住居と生活の歴史』 稲葉和也・中山繁信

   『地域社会圏主義』山本理顕上野千鶴子

 

==おまけのひとりごと==

 あと、ついつい地図屋の習性か、ネット上にリアルな街のバーチャル版を作って、

そこを「見世」化できないだろうかとか考えちゃうんだけど、

それって意味あるんだろうか。

ネットで気になったら行きやすいとか、隣とか近所の「見世」との連携がとりやすいってのはあるかもなぁ。なんだかんだ、歩いていける範囲のつながりってのは強いからなぁ。(そして地方から出てきた単身者はそのつながりを持つのは案外難しかったりする。しかももろ手挙げて付き合いたいわけでなく、ある程度距離をとってつきあいたかったりするしね)

とか、真夜中に衝動的に書く。